紙や絵具、墨に関わってまいりまして、絵から線へ、そして書へ。中国の書と日本の書の違いへ、 と次々に気になりだしました。そして、ずっとイジッている日本語がからんで、こんな企画をたてました。
象形文字を表音に使って「言霊の詩歌」を記したのは、1500年くらい前ですか。それは日本に文字というものを定着させ、かつ新興国日本の文化の独立を守る大和朝廷の文化政策だったわけです。
しかし、文字によって記録されることによって、言語の認識が変化し、思いがけず根幹に置いた詩歌自体が、いつしか言霊信仰から分岐する潮流を生んでいきました。
発声による呪術詩歌から、脳化したイメージの連鎖への変質が起こったのです。それは日本独自の文字のありようが生まれたということでもありました。
その顕著な結果が、今も脈々と受け継がれている「俳句」です。
もちろん物語のようなものも同じことが言えるのですが、特に俳句という形式の詩歌に判りやすく顕われているように思われます。
俳句は研ぎ上げた言葉の意味を骨のように組み上げて、活々とした身体をイメージさせるようなものでしょう。ですから記されるのは意味だけ。
そこで作者は文字自体が表現をしないように、意味だけが立ち上がるように、書かなければなりません。しかし観られることも意識して美しくあるように構成もしています。
その際々のせめぐところが、日本人の独特な文字の美意識を見せているようで、とても興味深いのです。
長く、こういったものを収集してこられた方の愛蔵品です。時代を追って、野々口立圃、西山宗因、三上角上、宝井其角、種田山頭火を並べてお目にかけます.
また、与謝野晶子、佐々木信綱の和歌もかることになりました。それはまた、意匠の美しさがあって見ごたえがあります。購入も可能。
素敵な展示になります。お出かけくださいませ。 |